思考停止と性愛ゾンビの罠

相変わらず書くことがない。来月やるライブの告知などこんなブログでやってもしょうがないしそもそもこのブログを読む人は俺のツイッターのフォロワー以外ありえない。固定ツイート見てください。


稚拙ながら何かしら常にものを考え続けてきた十代以降の俺の人生においてはきわめて異例なことに現在何も考えていないし考えたいこともない。なぜかと言えばいかなる問いを立てようともすぐさま自ら答えを出せてしまうからである。それは無論全てをそこから演繹できるほどの確固たる自前の思想体系を築き終えたからではなく、単にインプットを怠っているからでしかない。しかし考えたいことがないゆえにインプットを進んで行う気にもなれないのである。外発的要因により無理矢理インプットを行う以外にここから脱け出す方途は恐らくない。脱け出す必要性など微塵も感じていないのだが。

それとは別の話。

俺は八月の失恋以降根本的に恋愛ができなくなったような気がしてならない。恋愛とはそれが実際に交際に至ったあとは相手への執着以外の何物でもないというのが俺の信念だがなんとなくそのきわめて強い執着心を俺はもはや持てないのではないかと最近の自らを省みて思う(別に新しく彼女ができたわけではない、かと言って巷の性愛(承認)ゾンビよろしくマッチングアプリその他において精スプ行為を働いているわけでも無論ない)。それが無意識の自制なのかそれともその回路が壊れてしまったのかはまだわからない、が、もしかすると俺もまたくだらない、本当にくだらないあの性愛ゾンビの罠にまんまと嵌まってしまったのかもしれないと思うと実に空恐ろしい。性愛ゾンビほど資本主義的なものもない。俺の解釈では、セカイ系的「私とあなた」の絶対的二者関係=恋愛の社会化こそ資本主義と近代市民社会の外部をもたらす突破口である。というのはまあ戯言なので忘れてくれ。



さて今回も読み手を楽しませようと思って書いたわけではないので内容的にはかなりどうでもいい話になった。こんなブログより来月行うライブを観てほしいと心から思う。